2015年3月17日火曜日

ビューティーアンドユース

私は今29歳で、数か月後には30歳になる。微妙なお年頃というやつです。

私の周りの同年代の女たちは、程度の差こそあれ皆それぞれにしんどそうに見える。たとえ冗談でも『20代じゃなければ女じゃない』と言われる世の中で大人になっていくということは、本当にきついことだ。
私の場合男からの評価はさほど気にならないけど、いちおう女ではある。自分の若さが刻一刻と失われていくことに対して、無頓着ではいられない。
男の人は怖くないのだろうか?自分がこれから先どんどん汚く醜くなって行っても自分の価値は何一つ損なわれないと感じているのだろうか?
決してそんなことはないと予想する。

男女問わず若く健康な肉体を持っているということ、そういう種類の美しさを持っているということは、生き物として最強だと思う。それがいずれ跡形もなく消えてしまうものだということも含めて、他のどんな価値あるものにも代えられない宝だと思う。
だけどそれはいつか失われるものだ。絶対に一つの例外もなく滅茶苦茶に失われてしまうものだ。とてもじゃないけどそんなものを心の中心に置いて生きていくことはできない。

10代、20代のうちは、生まれたまんまの生きっぱなしでもなんとかやってこれた。これからは自分という存在を自分自身の力でガシガシ補強していかなければ、あっという間に潰れてしまう気がする。
衰えていく肉体を抱えて生きていくということの意味を考えて、対処していかなければならない。考えるだけで気が滅入る。
こんな辛気臭い考え放り出して、大麻でもやって愛や詩のことだけ考えて暮らしたいと思う。

やるべきことは山ほどあるけど、とりあえずひとつだけルールを決めることにした。
それは、出来る限り世の中のいい面、明るい面を見るようにしていくということだ。
ひとつ歳を取って一段階醜くなっていくごとに、自分が美しくなくなった目盛の分だけ、自分の目に映る世の中を美しくすることができたら、今怖がってるものぜんぶ怖くなくなるんじゃないかと思う。きっとすごくすごく難しいことだけど。

自社から遠く離れた土地で一人で仕事をしている今の状況がひどく孤独だ。恋人も同い年で今年30になるっていうのに結婚してやれず、肩身の狭い思いをさせている。両親も目に見えて年老いつつある。10年前に比べて、状況はどんどん悪くなっているように思える。

だけどそういうの全部、最高だと思えば最高だ。
10代の頃から来たくてたまらなかった東京に住んでいる。上司が昔よりずっと私を信頼してくれているのを感じる。恋人は今のところ損得勘定なしに私のそばにいてくれる。親は今日も生きて夫婦喧嘩にはげんだり、私の心配をしたりしている。
10年前にはよく理解できなかった映画や小説が心に沁みるようになった。いつのまにか偏食が治って何を食べてもおいしいと感じるようになった。道ですれ違う子どもをかわいいと思うようになった。悪いことばかりじゃない。つらいことばかりじゃない。

*

半年前の7月、渋谷シネマライズでスパイク・ジョーンズ監督の『her』を観た。
映画の中で、人工知能で声だけの存在である彼女に彼は言った。

”You are beautiful.”

映画館から出て思いきり伸びをすると肩の付け根あたりからぱきぱきと音が鳴った。一緒に映画を観ていた恋人は就活帰りでスーツを着ていて、ベンチャ―企業の中間管理職みたいに見えたけど実際には無職だった。

こういう技術革新系SFってあんま好きじゃないかも、とつまらなそうに彼女は言った。えー私これすごく好きだったよと反論するとじゃあ観てよかったと笑って私の了解も得ずにすたすたとラーメン屋に入っていった。
日の暮れかけたスペイン坂はエネルギーの塊みたいな10代の若者でごった返していた。
そんな夕方の喧噪のなか、もしかしたら自分たち二人とっくの昔に死んだことに気付かないまま渋谷を漂っている亡霊なんじゃないか?という強烈な錯覚に襲われた。
だけど心は暴力的なほど満たされていて、今日のこの瞬間のことをこの先ずっと覚えていようと思った。

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