2015年2月27日金曜日

私の町

二十二歳で今の会社に入社してから昨年の十一月に東京配属になるまでの六年半、仕事の関係で三カ月のスパンで九州と東京を行き来していた。
それがそのうち一年の半分、三分の二・・・と徐々に東京で過ごす時間が増え、最終的に一年のうち九州で過ごす期間は、地元への帰省含めトータル二か月程度になっていた。
一人暮らしのマンションは博多にあったから、東京ではスーツケース一つと段ボール二箱ぶんの荷物と一緒にホテルで暮らした。

二十代の大半をそうやって過ごしたことで、もともと無軌道な暮らしぶり(参照 : 柿のおわん的生活)をしていた私の生活に対する感覚はさらに壊滅的なものになった。
ベッドも枕もなにもかも、自分で選んだものじゃない。服はそんなに持ち歩けないので買った端から捨てるし、まともな台所がないので料理もしなかった。
だけどどんな環境にも人は適応するもので、そんな生活にもすぐに慣れた。同僚には「はよ帰りたいやろ」と同情されたけど私は一刻も早く転勤したくて辞令を待った。

私は東京が好きだった。
あらゆる種類の人間が存在することを許されている、優しい無関心の街だ。
そもそも私が九州に住み続けたのは、大学進学で実家を出る際両親にせめて電車で会いに行ける距離にいてほしいと頼まれたからだ。そのことには渋々ではあるけど納得していたつもりだった。
だけど『適齢期』と呼ばれる年齢になっても結婚出産の予定がない(同性愛者なので)私は、九州独特の地域社会の中では生きていけそうにないということが段々わかってきた。人にたくさん嘘をついたり、自分を貶すようなことを言わないといけないのには心底うんざりしていた。
私と同じ立場でも精一杯やっている人は山ほどいる。地元にも大学にも会社にも、いい思い出がたくさんある。
だけど私は地域社会の和や両親を安心させることよりも、自分のほうが何倍も何十倍も大事だった。
なにもレズを見つけては捕まえて食い殺す鬼がいるわけじゃなし・・・と自分に言い聞かせていたけどなんてことはない、私の方が鬼だったということだ。

だから転勤が決まったときはものすごく嬉しかった。
自分が選んだ土地で働いて暮らすことができる日が来るなんて信じられなかった。
人生は誰のためのものでもない、自分のためのものだという言葉の意味が生まれてはじめて理解できた。
親と地元を捨てた(語弊なく捨てた)ことに対するずっしりした罪悪感は後でしっかりやってきたけど、親と地元を恨んで一生を過ごすよりはずっとましだった。
これからうまくいってもうまくいかなくても誰のせいでもない、全部自分のせいだ。そう思うと最高の気分だった。


*


私が今住んでいる町の最寄は比較的大きなターミナル駅だ。だけど私の家はそこから歩いて十五分少しの密集した住宅街の一角にある。宅配のトラックが侵入できないくらい狭い路地の奥だ。食料品店や薬局なんかのゴチャゴチャした商店と、たくさんの旧家屋とすこしの新築とが混在している。
駅前まで出れば必要なものは何でも揃うけど、家周辺の店は18時~20時の間にかたっぱしから閉まってしまう。
縦横無尽に入り組んだ路地をたくさんの猫が走り回っていて、住人にほとんど可愛がられている様子もなく無視されている。
田舎者の私は「えっここが東京?」とすこし驚いたけど、こんな町がきっとたくさんあるんだろう。

私の部屋は三階建ての小さいマンションの二階にある一室だ。居室が五.五畳しかないのに洗面所に脱衣所、広めのお風呂、勝手口つきの台所にウォークインクローゼットまでついている妙ちきりんな部屋だ。
窓を開けて向かいのアパートは全ての部屋の雨戸が締め切られている、たぶん廃屋だ。その隣には平屋の瓦葺きの屋根が見える。周りに高い建物はないので見晴らしがいい。
全部で五つある窓を開け放つと風がびゅんびゅんと通り抜けて家中の空気が入れ替わる。

家から歩いてすぐのところに大きい川が流れている。河川敷にはいつもジョギングをしている人やなわとびをしている親子、草野球の練習をしている人たちなんかがいて、みんな幸せそうに見える。私は土手に生えた草の上に座って、コンビニで買ったピザまんを食べたりする。
部屋を換気するのとは比べものにならないほどの冷たい風に体が芯まで冷え切って、すぐに家に帰ってしまう。

冬だからどの家の戸口も締め切られているけど、古い家の前を通るときごくたまに線香の匂いがすることがある。線香の匂いが大好きな私はそれを胸いっぱい吸い込む。
地元の、両親の実家のあるあたりがちょうどこんなふうだった。川はないけど海が近くて路地が細くて猫が可愛くない。どこの家にも仏壇があって愛想のない年寄りが道端に出した椅子に日がな一日座っているような町。
もはやそこに私の居場所はないし、そこで暮らしたいとも思わない。だけど十八歳で地元を出てからずっと、あの町をなつかしく思っていた。
ここ数年はそんなことも忘れていた。

夏になって、あたり一面に線香の匂いがたちこめるのを想像する。河川敷から夏祭りの喧騒が聴こえてくるのを想像する。
わざわざ東京まで来て、自分が結局こういう場所を選んでしまったことが、くすぐったくって嬉しかった。

2015年2月25日水曜日

好きなものvol2

二年ぶりにやってみます。
以下順不同

★レッドアイ
★頑丈な丸椅子
★減塩梅干し
★賞状
★マナティ
★オレンジと白の太めのストライプのシャツを着た30代男性
★うなぎ
★ポッカレモン
★シドニアの騎士
★足首がガボッとしてるショートブーツ
★緑色のLANケーブル
★デジタル置き時計
★えいひれ
★べっ甲の靴べら
★無印良品のさいて食べる極薄昆布
★ポピー
★胸ポケットにはさめるボールペン
★上野にある純喫茶『王城』
★白身魚の蒸し料理
★エネオスの制服
★ブラックニッカのハイボール
★宇奈とと
★海林さだお 丸かじりエッセイシリーズ
★私立探偵濱マイク
★五目チャーハン
★主婦の乗ったフォルクスワーゲンゴルフ(赤)
★オセロ
★映画版『風の歌を聴け』
★ロッキー
★緑色のふとん
★無味炭酸水
★GEO
★でかいまくら
★革細工のキーホルダー
★水中花の入ったライター
★ごまめ
★細くて蛍光色の髪ゴム
★バンガロー
★びんづめのバジルソース


いくらでもありますね。

【20130227】愛について

2013-02-27 22:39:00

一年近く前、五年間付き合った1つ年下の彼女と別れた。スケールの小さい話だけど、それでかなり価値観が変わった。

私にとっての彼女は恋人である前に親友で妹で、家族だった。退屈と幸福の象徴みたいな存在だった。
でもやっぱり幸福ではなくて人間だったから、別れることになった。好きな男ができたということだった。
しばらく何をする気も起きず毎晩強い酒を飲んで飲んで気絶するように眠ったけど、決まって夜が明ける前に目が覚めた。

彼女は大学の後輩で、私のほかに友達がいなくて、いつも私の後ろをくっついて歩いていた。船が好きな私のためにこっそり調べて、いろんな場所の遊覧船に私を乗せてくれた。はじめて東京に出張に来て心細かったとき、夜行バスで会いに来てくれて毎日ごはんを作って待っていてくれた。

別れたときは未練と嫉妬で憎たらしくて殺したいくらいだったけど、何度思い出しても私にとても良くしてくれたことしか思い出せない。
だからそんな彼女が好きになった男なら素晴らしい人なんだろう・・・なんてことはまったく思わない。きっと背が高くてハンサムで、頭におがくずが詰まったみたいにつまらない男だろう。

あれから、悲観的な風にではなく私は、恒常的な幸せを求めて生きるのは金輪際やめようと思った。
他の人がどうかなんて知らないけど、私にとっての幸せは好きな人がずっとそばにいてくれることで、それだけは絶対に変わることはない。だから凍結するしかない。他人に幸福を委ねるなんておそろしい真似、もう二度と出来ないだろう。

彼女はもうとっくに私のことを愛していないし、私も多分もう彼女のことを愛していない。
私には好きな人がいるし、その人のことをこれからもっと好きになると思う。だから今に彼女のことは一週間に一度も思い出さなくなることだろう。

それでも私は、愛は今現在の幸せや時間なんかとは一切の関連性を持つことなく存在していると思う。いろんな土地の遊覧船に私を乗せてくれた人、誰だか思い出せなくなっても私は、あきらかに昔よりもずっと遊覧船が好きだ。

【20130223】好きなものvol1

2013-02-23 17:49:00

以下順不同

■アボカド
■ゼロ年代ファッション雑誌の別冊漫画雑誌(CUTIE COMICとか)
■キウイの白いとこ
■長浜ラーメン
■青い革製品
■赤い毛糸製品
■白いVネックシャツ
■がんもどき
■神谷バー
■ミルクック
■素揚げした茄子
■方眼紙
■ヤクザの事務所にあるみたいなクリスタルの灰皿
■紙が黄色くて裏が無地のチラシ
■女の子の手首の骨
■男の子の手首の骨
■こてっちゃん
■キャベツに粗塩振って置いたの
■100円ライター(定義は厳密)
■アイラインを引くこと
■北海道100カマンベール
■黒田硫黄のまんが
■手巻き寿司
■村上春樹全著作
■梶尾真治の短編SF
■日曜新聞で読む「あたしンち」
■茶碗蒸し
■デートで昼酒
■チョコレートサンドイッチ
■ムーミンの隕石が落ちる話
■そっけないバニラの香水(なかなかない)
■イカ全般
■ハイライトのタバコのパッケージ
■切ないトラック馬鹿リリックの日本語ラップ
■RPGの中のミニゲーム(カジノとかFFのカードゲームとか)
■レモンとかゆずとかスウィーティーとかの柑橘
■人と本屋に行ったあと喫茶店で買ったものを見せ合う
■GODIVAのショコリキサー

思い出したらまた書きます。人のも教えて欲しいです。

【20130220】男の子のこと

2013-02-20 22:52:00

私はおそらく性的にはバイセクシャルなんだけど、今まで一度も男の子を心から好きになったことはない。

過去に何度か彼氏がいたことはあるけど、付き合ってからその人のことを思って胸が苦しくなったりとか、他の女の子に焼きもちを焼いたりだとかは思い込みを除くと、ない。
付き合うまでのことは少女まんがで読んだから知ってるけど、そのあとのことがわかんなかった。

触られたりするのも全然嫌じゃないし、かっこいい人と居るとドキドキしたりするけど、そんなの人間が二人以上いればじゅうぶん有り得る話だと思う。この程度の感覚を「両方いける」なんて言うのって卑怯だと思うのでレズを名乗っているわけです。

でも私には他の女の子の「普通」がわからないから、案外こんなもんなのかもしれないね。
男も女も私も色々と思い込みがあって、それにうまく発情が重なって、それだけかもしれないと思うこともある。
恋愛っていうのは生殖とは違って、当人以外の第三者からすれば意味も理由も価値も一切ないと私は思う。

だから悲恋物の映画を見て泣く人は別に優しいのではなく、その人の中の愛が悲しいだけなんだと思ってます。

【20130216】薬味がうまい

2013-02-16 00:16:00

大人になってから無性に薬味がうまい。
万能ねぎ、にんにく、すりゴマにおろし生姜。お麩とか湯葉とかクルトンなんかのやつらも妙に美味しい。
子供の頃はケチャップくらいしか受け付けなかったのに不思議だ。

食べ物の嗜好とは別に、映画や小説に関しても薬味的なモチーフが出てくると嬉しくなる。
登場人物の口癖とも言えない語尾の感じだとか、三回中二回はくたくたのマフラーをしていたり、紅茶を飲むときは必ずビスケットだとか、そういう本筋とは関係ない細部にいつも感動している。

先日の日記でも触れたけど、生活するということに対して俄然興味が湧いてきたからだろうか。
自分を含め、どんなに退屈な人の退屈な人生にも物語はあるということが薄々わかって、物語性に対する興味が失せたのかもしれない。
何が起こったかよりも誰に起こったか、その時のその人の表情だとか言葉だとか直後に飲んだものだとかのほうに、重要な情報がぐっと詰まっている気がする。

ほとんど全ての武勇伝がつまらないのは、そこには物語だけがあって細部が圧倒的に欠如しているからなんじゃないかなと思った。

【20130213】柿のおわん的生活

2013-02-13 23:42:00

まとまった量の文章を作る練習をしたくて今日から日記をつける。

ここ何ヶ月か、毎日人間らしく暮らすことが何より大切だと強く思う。
清潔で暖かくて良いにおいのする空間で、気に入りの服を着てコーヒーを飲んだり本を読んだりだとかそういうことを、私はもっとするべきだった。
思えばずっと獣のような暮らし方をしてきた。寝たい時に床で寝て、食べたい時に目についたものを食べてわけの分からない服を着ていた。普通の女なら10代で完成させる生活習慣というものを、私は一切作って来なかった。
それはとてもいけないことだ。人を愛したりする事よりもずっと大事なことのような気がする。

そう思って一月の連休に行った京都で柿の形をした漆碗を買った。
だからどうだいうことは特にないんだけど、どこか象徴的なお椀です。