2015年3月30日月曜日

ぐるぐる

私は毎日かわり映えのない暮らしを送っている。

毎週月曜〜金曜は仕事に行く。
朝は6時半に目覚まし時計をかけているけどだいたいその2分前には意識がある。ナイーブだ。

起きあがると顔を洗いに洗面所に向かう。顔を洗ってコンタクトレンズをつけて化粧水と乳液をつけて部屋に戻る。そのとき冷蔵庫の中にある冷たい飲み物をコップに注いで飲む。だいたいは豆乳か牛乳を選ぶ。
髪をとかして化粧をしてパジャマを脱いで服を着て玄関に立つ。
「携帯、財布、Suica、い、え、の、カ、ギ」という自作の歌を歌う。それでも月に2回はSuicaを忘れてしまう。

家を出て歩きながらiPodで何か聴く。サニーデイサービスとか聴く。

駅に着くと7時50分発の電車に乗って会社に向かう。7時50分発のに間に合わないときはフルーツジューススタンドでミックスジュースを買って飲んで、7分遅れの電車に乗る。電車の中ではTwitterを開く。

会社の駅に着く。大幅な遅延がなかったときは喫茶店に入りコーヒーを飲みながら文庫本を読んで8時40分には店を出て出社する。自分のデスクに座り、午前中の仕事をこなす。

昼ごはんは一人で外に食べに行く。丼ものとかお蕎麦とかをサッと食べてぶらぶら散歩したり、ベンチに座って文庫本を開いて朝の続きを読む。たまにお寿司を食べたりカフェに入ったりするけどそういうときはすぐに店を出ずにゆっくり座っている。

午後の仕事を始める。丼ものを食べたので15時頃猛烈に眠くなる。コーヒーを飲んだりストレッチをしたりしてなんとか目を覚まし、集中する。いつも一人で仕事をしているから打合せが入ると嬉しい。

仕事が終わる時間はまちまちだ。だいたい20時には会社を出て電車に揺られて帰る。元気があれば昼の続きの文庫本を読む。元気が出ないときはTwitterを開く。元気が出る。

水曜日は彼女か友達と飲みに行く。それ以外の日は駅前の飲み屋に入って生ビールを二杯飲む。おつまみにはえいひれをよく食べる。焼酎お湯割りも一杯飲む。それでもう酔っ払ってしまう。

家までとぼとぼ歩く。朝は12分で駅まで着くけど帰りはとぼとぼなので23分掛かる。

鍵をあけて家に入る。洗面所で手を洗ってお風呂場に入り給湯スイッチを入れてお湯をためる。
台所に行ってお湯を沸かす。元気があれば文庫本の続きを読むけど元気がないときはTwitterを開く。元気が出る。

お湯が沸いたので立ちあがり火を止める。そのまま台所でたばこを吸う。外ではたばこの匂いが苦手な人も多いのでほとんど吸わない。人のためというより、知らない人に嫌な顔をされるのが嫌いだから。お風呂は給湯器が勝手に止めてくれる。

目が疲れたのでコンタクトレンズを外す。そのままぼーっとしていると23時になっている。ショックで30分ほどTwitterをやる。

観念してお風呂に入る。お風呂には本を持って入るけど文庫本じゃなくて漫画にする。コンビニ版のバタアシ金魚とか、うしおととらとか。
湯船にKNEIPのオレンジリンデンバウムの入浴剤を入れる。だくだくとすごい量の汗が出てあははと声を出して笑ってしまう。

お風呂を出て、洗面所で化粧水と乳液を塗って髪を乾かす。台所に行きそのとき冷蔵庫の中にある冷たい飲み物をコップに注いで飲む。だいたいはポカリスエットかトマトジュースかヤクルトを選ぶ。

時計を見たら日付が変わっているのでショックで30分ほどTwitterをやっているとだんだん眠くなる。ベッドに入り布団を掛けて枕元の目覚まし時計をセットして目をつぶる。今日もお湯を沸かすだけ沸かしてお茶を淹れなかったなと思う。

2015年3月23日月曜日

好きなものvol1【くわしく】

好きなものをつらつらあげてみる記事を過去二回ほど書いたけど、それぞれについて思いを馳せてみたら楽しいかなと思い、やってみます。
とりあえず二年前のやつ。

*

★アボカド
嫌いだったんだけどほんの5、6年前くらいから妙に好きになった。
ビールを飲むようになってからかな。鹿児島の甘くてとろっとしたさしみ醤油をかけて食べます。

★ゼロ年代ファッション雑誌の別冊漫画雑誌
『CUTiE Comic』とか『Zipper comic』とかね。
10代の頃は、孤独で恋愛に傷ついてて可愛くておしゃれな女の子の話以外興味なかったですね。
「こんな恋愛してみてぇ~」以外のことなにひとつ考えられなかった。

★キウイの白いとこ
キウイの中でもここがいちばん酸味が少なくて素朴な甘さ。

★長浜ラーメン
博多とんこつのなかでも特に超極細麺でスープも白湯みたいにあっさりしてる。
のど越しがよすぎてもはや「飲める」のでまったく食べた気がしない。
癖がないので普通のとんこつ苦手な人も大丈夫かもしれない。

★青い革製品
これを書いたころは真っ青な革のかばんを使っていてすごく気に入ってたんだよね。
当時この記事を見た友達がレザークラフトで青い革の小銭入れを作ってくれてすごく嬉しかった。
大切にしてたのに失くしちゃったと思って落ち込んでたら、私が実家に忘れたのを母親に接収されて小物入れにされてた。
どうしても欲しかったとのこと。

★赤い毛糸製品
ぬいぐるみみたいに肉厚でクレヨンみたいに真っ赤なカーディガンをベネトンで買って、これも気に入ってた。
1年前くらい前、うっかりお湯で洗っちゃってアホみたいな丈になっちゃったけど今でもたまに着ます。今日も着てる。

★白いVネックシャツ
白いコットンのVネックの長そでTシャツ。胸板が厚いのでクルーネックはあんまり似合わない。
色んなブランドから出てるけど、無印良品のやつのVの深さが好み。なにより毎年同じ形で出してるからいつでも買い足せて安心。
手持ちを数えたら8枚あった。並べて見るとおそらく古い順に色があせているのがわかり、何枚か捨てました。

★がんもどき
豆腐の加工品はどれも好きだけどがんもどきは特にうれしい。一個で煮物気分が楽しめるし。

★神谷バー
少し前まで浅草徒歩圏内に住んでたからよく行っていた。
名前と外観からシックでアダルトなバーを予想して緊張していたところ、地元の人で賑わう大衆酒場だったのは嬉しい誤算。
女の子と行ったりなどして、いい思い出が多いです。
1.生ビール
2.ハチブドーパンチ
3.お冷を頼んで
4.電気ブラン
という決まり。いい気分になったところで屋台街に繰り出す流れです。

★ミルクック
九州限定のミルクセーキ味のアイス。ちょっと前まで一本60円だった。とってもおいしい。
http://takeshita-seika.jp/index.php?id=6

★素揚げした茄子
茄子と油は合う。大根おろしとかつお節と甘辛い天丼のたれをかけて。

★方眼紙
RHODIA(オレンジのやつ)の方眼つきのメモパッドとノートをよく使います。
わたしの書き文字はデカく、かつ右上がりになってしまうのでまっすぐ揃えて書かせてくれる方眼紙は便利。

★ヤクザの事務所にあるみたいなクリスタルの灰皿
子供の頃漁師のじいさんが持っていて憧れている。
人が殴り倒せるくらい重量感のあるやつをギフトショップかどこかで手に入れられたらと思ってます。

★紙が黄色くて裏が無地のチラシ
小学校から帰ったらお母さんがおやつをくれて、玄関の古新聞置き場から裏が無地のチラシを探してきてクーピーで絵を描いた。
そんな幸せな記憶がよみがえるから。

★女の子の手首の骨/男の子の手首の骨
女の子の場合は単に助平心から。男の子の手首の骨が好きなのはかたちが美しいから。
個人的には女より男のほうが造形的に美しいと思う。

★こてっちゃん
子供の頃は大嫌いだったけどやっぱりビールを飲むようになってから好きになった。
内臓は脂が少ない(つまり安い)やつが好き。

★キャベツに粗塩振って置いたの
このころはキャベツにハマってキャベツばっか異常に食ってた。今もまあ好きだけど...

★100円ライター(定義は厳密)
火打ち歯車式で原色クリアカラーの、赤/オレンジ/黄色/緑/青/透明のものに限る。
火を点けるときに火花が散るのが好き。

★アイラインを引くこと
私は不器用だし化粧の知識も技術も人並み以下だけど、アイライン引くのだけはべらぼうに上手いんですよ。
リキッドだろうがペンシルだろうが迷いなく一定の太さを一筆で引けます。
あまりの美技に目撃者の腕に鳥肌が立つほど。

★北海道100カマンベール
スーパーで売ってるカマンベールの中でダントツに美味しい。
富裕層がターゲットというわけでもないのに製品開発に一切の妥協を感じない...かは知らない。まったくの偶然によってとびっきりなのが作れたのかも。

★黒田硫黄のまんが
大学生の頃友達に借りて読みました。あまりの面白さに電気ショック並みの衝撃を受けた。
前述のとおり『孤独で恋愛に傷ついてて可愛くておしゃれな女の子の話』しか興味なかった時期だったので
「なんじゃこりゃ!ヒモもライブハウスも原宿も出てこねぇのに面白ぇ~!?」とひっくり返りました。
細胞ひとつひとつにまでエネルギーが染み渡る。

★手巻き寿司
お誕生日会みたいで好き。マヨネーズと甘い卵焼きとカニカマ。

★村上春樹全著作
皆があまりにもけちょんけちょんに貶すから最初は読まず嫌いしてた。
大学のゼミの課題図書で短編集『レキシントンの幽霊』を扱ったのがきっかけで、なんだよおもしろいじゃん!と思い全部読みました。
私が読む小説を選ぶときの基準は7割方『耐えられないほど嫌いなやつが登場してこないか』で、これに抵触するものは即読むのをやめるんだけど、春樹の小説の場合身の毛がよだつような嫌な奴が登場しても読むのをやめようと思えない。
読むたび、今自分の求めているものがちょうどよくあると感じます。

★梶尾真治の短編SF
2、3年前だったか紀伊国屋でやっていた『ほんのまくら』フェア。
書き出しのワンフレーズだけがブックカバーに印刷されていて中身が読めない文庫本を選ぶという楽しい企画。
そこでビビと来て購入したのが、梶尾真治氏の『美亜へ贈る真珠 梶尾真治短篇傑作選ロマンチック篇』でした。
他の著作も面白いけど、タイトル通り感傷的で残酷なこの短編集が一番好き。
『黄泉がえり』の作者だということは後々になって知った。

★日曜新聞で読む「あたしンち」
子供の頃はお小遣いが少なく思うように漫画が買えなかったので、毎週日曜新聞に連載していた『あたしンち』を切り抜いてスクラップするのがサイコーでした。オールカラーだし。
今は単行本で買ってるけど、大好き!

★茶碗蒸し
父親が茶碗蒸し大好きで私の分も奪って食べる(普段はそんなことをするような男ではない)のであんまり食べたことなかった。
食べてみたらおいしくて「ふざけるな!」と思った。

★デートで昼酒
昼から飲むと、だらしないんだけど清潔なかんじ(夜じゃないので)がしてよろしい感じ。

★チョコレートサンドイッチ
HERSHEY'Sのチョコレートソースを8枚切りの食パンに挟んで耳を落とすだけ。幼稚園のおやつでよく出てた。

★ムーミンの隕石が落ちる話
『ムーミン谷の彗星』かな。もうずっと読み返してない、寂しくてきれいでアホな話だったと思う。

★そっけないバニラの香水(なかなかない)
バニラの甘い匂いは大好きなんだけど、どれも主張が強すぎて甘ったる過ぎる。
朝に振ったら午後にはほとんど消えてしまうようなそっけないやつを探しています。植物由来ッ!てかんじの。

★イカ全般
歯が生え揃ったころから今現在までずーーーーーーーーーーーっと好きですね。小中高とお小遣いで買ってた。
あたりめも刺身も天ぷらもすり身も、なんでも好き。

★ハイライトのタバコのパッケージ
これ書いてから二年経ったけどまだハイライト吸ってますね。
鼠色っぽい水色も意匠もフィルターが茶色なことも何から何まで可愛いと思う。
あとこれを吸ってると中年男性に喜ばれる。

★切ないトラック馬鹿リリックの日本語ラップ
これはおそらくgroup_inouのことでしょうね。ライブに二回行ったことがある。

★RPGの中のミニゲーム(カジノとかFFのカードゲームとか)
楽しくてストーリー進めるの忘れちゃいます。クロノトリガーも最初のお祭り広場でずーっとミニゲームしてて目的忘れた。
FF7のゴールドソーサーは言わずもがな。

★レモンとかゆずとかスウィーティーとかの柑橘
舌が幼稚なので随分最近になってから「風味、フレーバー」という概念を理解した。
心が素直なので初心者向けのシトラスを好きになってそのまま。

★人と本屋に行ったあと喫茶店で買ったものを見せ合う
これはかなり仲良くないとやりたくないけど、二人(ないし三人)ぶんをテーブルの上にバーンと出す。
それぞれの買い物をじっと検分してから鞄に仕舞うなり読み始めるなりするうれしさよ。

★GODIVAのチョコリキサー
私そこまで甘いものに目がないとかじゃないけど、これをはじめて飲んだとき美味しすぎておかしくなるかと思った。
福岡は天神の地下街にあるGODIVAのイートインで飲んだのかな。あんまり金がない時期で、それもあっての感動だったかも。
連れは感動のあまり泣いてた。

*

以上です。
皆さんもこういうのやってみたらぜひ教えてくださいね。

2015年3月17日火曜日

ビューティーアンドユース

私は今29歳で、数か月後には30歳になる。微妙なお年頃というやつです。

私の周りの同年代の女たちは、程度の差こそあれ皆それぞれにしんどそうに見える。たとえ冗談でも『20代じゃなければ女じゃない』と言われる世の中で大人になっていくということは、本当にきついことだ。
私の場合男からの評価はさほど気にならないけど、いちおう女ではある。自分の若さが刻一刻と失われていくことに対して、無頓着ではいられない。
男の人は怖くないのだろうか?自分がこれから先どんどん汚く醜くなって行っても自分の価値は何一つ損なわれないと感じているのだろうか?
決してそんなことはないと予想する。

男女問わず若く健康な肉体を持っているということ、そういう種類の美しさを持っているということは、生き物として最強だと思う。それがいずれ跡形もなく消えてしまうものだということも含めて、他のどんな価値あるものにも代えられない宝だと思う。
だけどそれはいつか失われるものだ。絶対に一つの例外もなく滅茶苦茶に失われてしまうものだ。とてもじゃないけどそんなものを心の中心に置いて生きていくことはできない。

10代、20代のうちは、生まれたまんまの生きっぱなしでもなんとかやってこれた。これからは自分という存在を自分自身の力でガシガシ補強していかなければ、あっという間に潰れてしまう気がする。
衰えていく肉体を抱えて生きていくということの意味を考えて、対処していかなければならない。考えるだけで気が滅入る。
こんな辛気臭い考え放り出して、大麻でもやって愛や詩のことだけ考えて暮らしたいと思う。

やるべきことは山ほどあるけど、とりあえずひとつだけルールを決めることにした。
それは、出来る限り世の中のいい面、明るい面を見るようにしていくということだ。
ひとつ歳を取って一段階醜くなっていくごとに、自分が美しくなくなった目盛の分だけ、自分の目に映る世の中を美しくすることができたら、今怖がってるものぜんぶ怖くなくなるんじゃないかと思う。きっとすごくすごく難しいことだけど。

自社から遠く離れた土地で一人で仕事をしている今の状況がひどく孤独だ。恋人も同い年で今年30になるっていうのに結婚してやれず、肩身の狭い思いをさせている。両親も目に見えて年老いつつある。10年前に比べて、状況はどんどん悪くなっているように思える。

だけどそういうの全部、最高だと思えば最高だ。
10代の頃から来たくてたまらなかった東京に住んでいる。上司が昔よりずっと私を信頼してくれているのを感じる。恋人は今のところ損得勘定なしに私のそばにいてくれる。親は今日も生きて夫婦喧嘩にはげんだり、私の心配をしたりしている。
10年前にはよく理解できなかった映画や小説が心に沁みるようになった。いつのまにか偏食が治って何を食べてもおいしいと感じるようになった。道ですれ違う子どもをかわいいと思うようになった。悪いことばかりじゃない。つらいことばかりじゃない。

*

半年前の7月、渋谷シネマライズでスパイク・ジョーンズ監督の『her』を観た。
映画の中で、人工知能で声だけの存在である彼女に彼は言った。

”You are beautiful.”

映画館から出て思いきり伸びをすると肩の付け根あたりからぱきぱきと音が鳴った。一緒に映画を観ていた恋人は就活帰りでスーツを着ていて、ベンチャ―企業の中間管理職みたいに見えたけど実際には無職だった。

こういう技術革新系SFってあんま好きじゃないかも、とつまらなそうに彼女は言った。えー私これすごく好きだったよと反論するとじゃあ観てよかったと笑って私の了解も得ずにすたすたとラーメン屋に入っていった。
日の暮れかけたスペイン坂はエネルギーの塊みたいな10代の若者でごった返していた。
そんな夕方の喧噪のなか、もしかしたら自分たち二人とっくの昔に死んだことに気付かないまま渋谷を漂っている亡霊なんじゃないか?という強烈な錯覚に襲われた。
だけど心は暴力的なほど満たされていて、今日のこの瞬間のことをこの先ずっと覚えていようと思った。

2015年3月8日日曜日

2015年3月6日(金)の日記

泊まりに来たものの絶望的に機嫌が悪い彼女に一刻も早く寝て欲しくて、牛乳を飲ませて部屋を暗くして布団を何枚も掛けて二十分置いたところスースー寝息を立て始めた。
戸棚を漁ったら前にハイボール用に買っておいたウイスキーがあった。割るものが何もなかったのでコップに四センチくらい注いでそのまま一口飲んだら喉がカッと熱くなって頭がくらくらした。机の上にあった彼女の飲み残しの牛乳を足したらずいぶん飲みやすくなった。
私はあんまりお酒に強くない。昔は結構飲めたけど、大学時代に飲み過ぎて腎炎になって以来、あんまり飲めなくなった。

飲めなくなった日のことはよく覚えてる。
たしか夏で、自分の家から五駅くらいのところにある繁華街でMIXイベント(※ ゲイもレズもストレートも参加可能、オープンなパーティー)が開催されると聞いて出掛けて行ったんだった。今でこそそういうイベントは大の苦手だけど、若かったからドキドキしながら会場に向かった。
どんなパーティーだったかは一切覚えてない。緊張し過ぎてブラックラムを12杯くらい飲んだことだけ覚えている。

気付いたら朝で、自宅の最寄り駅のホームのベンチで横になっていた。
直射日光に当たり続けた肌はひりひり痛み、身体中の関節が全部雑に削った竹にすげかえられたような気がした。腕も足も数センチ単位でしか動かなかった。

そこからどうにかして這うようにして自宅に帰って布団に横になったものの、背中が滅茶苦茶に痛くていっこうに眠れない。酔っ払って転んだのかなと思ったけど身体の内側から背中に向けて散弾銃で撃たれたんじゃないかと思うような痛みが二、三時間続いた。
これはいよいよ本当に危ないと思い、歩いて10分ほどの場所にある総合病院の緊急外来に行くことにした。部屋からマンションの集合玄関まで行くのに10分掛かったのでタクシーを呼んだ。

病院に着いて、迷惑そうに顔をしかめる気難しそうな40代の男性医師に問診を受けた。かなりきつく叱られ、視界がぐわんぐわん歪むのでうつむきながら耐えていた。
尋ねられるままにボソボソと症状を伝え、最後に
「妊娠してないよね?」
と訊かれ、顔を上げて
「いえ、ないと思います」
と答えた私の胸元を、先生が眉間に皺を寄せて眺めているのに気付いた。私は朦朧とした頭で自分の着ていた部屋着のTシャツの胸元を見た。

Tシャツの胸には浮かれたフォントで『I'm not fat. I'm pregnant(デブじゃないって、妊娠してんの)』とプリントされていた。
「違うんです」
そのあとのことはよく憶えていない。尿検査のあと点滴を打たれた気がする。

とにかくその日を境に少しずつ飲める量が減っていき、今ではウイスキーの牛乳割三杯で足腰が立たないからだになった。
件のTシャツは、友達が東南アジアに旅行するときに「これを着て行って」と渡して、それっきりだ。

2015年3月3日火曜日

ラッキーガールズ

お昼ご飯を買いに外に出て、横断歩道で信号待ちをするために立ち止まろうとしたその瞬間、歩行者用信号が青に変わった。私は声を出さずに口の形だけで「ラッキーガールズ」と言った。

ガールでもまして複数人でもない私だけど、これは高校時代仲良くしてた友達がよく口にしていたおまじないみたいなものだ。私も彼女も日本人だしクソ田舎の漁村出身なんだけど。
何かちょっとしたタイミングの良さに遭遇するたびにこのフレーズを早口でつぶやくという二人の間だけの決めごとがあった。
言った?言った。うちら余裕だよね。余裕だよ。

彼女とはもう随分会ってない。実は東京の人と結婚して近所に住んでいるから、よくご飯に誘ってくれるしいつでも会えるんだけど、いつもどちらからともなく話が流れてしまう。
彼女は今も昔も変わらず面白くていいやつだ。だけどなぜだか大人になって会ってみるとうまく話ができなくなっていた。彼女に話したいことも、聞きたいことも気楽に話せるような話題もなにひとつなくなっていた。多分私も彼女も変わったんだろう。

矛盾してるみたいだけど、私は今でも彼女のことが好きだ。彼女も私を好きだと思う。会いたいなと思うこともあるけどたぶんもう会わないほうがいいと思う。
明るくて涙もろくて友達が100人くらいいて、だけど誰にも自分の暗い面を見せない優しいタフさを持っていた。いつだってラッキーであって欲しいと思う。
そんな相手っていませんか。

とにかく12年前の決めごとだけが残った。ラッキーガールズ。
言った?言った。うちら余裕だよね。余裕だよ。

2015年3月2日月曜日

釣り銭

今日は朝からすごく機嫌がいい。
天気が良いからかな、月曜日だし先週にくらべて状況は何ひとつ好転してないのに何もかもがうまく行ってるような気がする。
自分が自分の人生をこれからどうしていきたいのかはまだわからないけど、こういう上機嫌な一日をできる限りたくさん集めていきたいということだけはわかる。

*

昔から「機嫌良く振る舞う」ということを対人関係における優先事項のかなり上に置いていた。
人前で不機嫌やしんどさを露わにすることで、無関係な人たちに自分の荷物を持たせようとするような人間が大嫌いだったから、自分はそうなるまいと意識していた。私の数少ない長所のひとつだったと思う。
だけどここしばらく、なんやかんやと忙しくしているうちにその習慣をすっかり忘れてしまっていた。

人に当たったりはしないけど(あたり前か)機嫌が悪いときやちょっとした嫌なことがあったとき、人に優しくしたり自分から笑いかけたりしなくなった。笑いたいときに笑い、無表情でいたいときは無表情でいた。
こんなに楽でいいのか、今まで随分損してたんだなと思った。

だけどそういうふうに暮らしていると、一日のうち無表情でいる時間がどんどん長くなってきた。喜怒哀楽のうちの喜と哀の要素が毎日少しずつ、自分から抜け落ちていくような気分だった。
損得勘定に頭が支配されて、自分が他人に損させられていると思うようなことがあると手が震えるほど腹を立てた。いや大丈夫だひとつも損なんかしていないと思うと安心し過ぎて頭がボーッとした。そういうものが私の心の動きの中心になっていた。怒と楽の感情だけでできたお化けだ。
あいつら、あの四六時中機嫌悪かったやつら、こんな気持ちで毎日暮らしてたのか?こんなの地獄じゃないかと愕然とした。

自分が辛いときにこそ他人への思いやりを忘れず、見返りが無くても人に舐められても朗らかに笑っていられる、そしてなおかつそのことで心に澱を溜めずにいられる。たしかにそれは立派だと思う。
だけど人間というのはそこまで立派であらねばならないのか、そもそもそんなことが本当に可能なのか私にはわからない。
血を吐くようにして捻出した優しさはきっと尊いけど、自分や他人にそれができると過信することはトラブルや憎しみの原因にしかならないんじゃないのかと思う。

*

とりあえず凡夫である私に関して言えば、今後は人の機嫌ではなく自分の機嫌を取る方向にシフトしていきたい。
自分自身に良くして、ニコニコ自分の機嫌を取りまくって、そしたらきっとどこかのタイミングでその余剰というか釣り銭みたいな形で余裕が生まれることがあると思う。
その釣り銭分で人に優しくできればそれで充分なんじゃないかな。

気持ちの釣り銭をじゃんじゃか出して人を喜ばせたり安心させたりできる人間になりたい。